|
苗木城跡 (岐阜県中津川市) |
|
|
|
|
苗木郷は鎌倉時代より地頭として遠山氏が治めており、戦国時代になると高森山に城を築き、
織田氏・武田氏と姻戚関係を結び勢力を広げた。
本能寺の変の後、豊臣氏に従わなかった遠山氏は、城を追われたが、
関ヶ原の戦いに先立ち、徳川家康に東濃奪還を命じられ苗木城を取り戻します。
この功績により苗木領1万石を賜り、苗木城主として初代遠山友政から12代友禄にわたり一度も国替えがなく
江戸時代を通してこの地を治めた。
巨岩と石垣に懸造り(カケヅクリ)を配した全国でも珍しい城である。 |
|
|
|
|
|
写真をクリックするともう少し大きい画像が見られます |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
苗木城跡の城域は主要部の内郭部分が約2万㎡
外郭部も含めると約35万㎡に達し、昭和56年に国の
史跡に指定された。
城跡は東西に流れる木曽川の右岸、一段と高くそびえる
城山(432m)にある。 |
|
約500mの石垣には、多種類の積み方がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
屋根の下は千石井戸で今も水が有る |
|
天守台柱建物 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
天守台から見た市街地(中津川市)
木曽川から天守まで標高差約170m |
|
弓の矢として使用した竹林 |
|
|
|
|
|
|
|
|
岩山という地形に制約され利用できる土地の確保が困難であったため、巨岩等を利用した建物構築方法
(懸造り)が多い |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|