春の南都を訪ねる
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春日大社
二の鳥居をくぐり 本殿へ進む。 伏鹿手水所。
神苑と鹿苑が隣接、春日大社の鹿は大変に有名。
砂ずりの藤 花の穂が地面の砂にすれるほど
長いところから この名がある。鎌倉時代後期に
描かれた絵巻物にも
ここに藤があったことが記されている。
   興福寺    唐招提寺      
興福寺東金堂と五重塔
享保2年(1717年)の大火で失われた中金堂の
再建中で平成30年落慶の予定。
鑑真大和上は688年中国で生まれ、14歳で出家し律匠と称えられていた。日本からの熱心な招きに応じたが当時の航海は難しく6度目の航海で遂に来朝。
東大寺で5年過ごされたのち、759年専修道場を
創建され、これが唐招提寺の始まり。
  金堂
これまで数回の大修理を受けたが、
年輪年代法による測定の結果、軒の木材が
天応元年(781年)に伐採されたものと分かり、
これは金堂の建立時代にかかわる重要な発見
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十一面千手観世音菩薩立像
大脇手42本、小脇手911本、計953本の腕は、
本来は1000本あったと考えられている。
     盧舎那仏座像
中央に配置されている本尊は、像高3mの
巨大な乾漆仏
鼓楼
鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため
「舎利殿」とも呼ばれている。
鑑真大和上の座像を奉安する御影堂  鑑真大和上御廟の周囲を囲む土塀
薬師寺
玄奘三蔵院
玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿  玄奘塔 大唐西域壁画 
平山郁夫画伯が30年をかけ完成した
千年の釘
西塔の復元にあたり、四国・松山の刃物鍛冶師、
白鷹幸伯さんが古代の技術を生かし、
千年長持ちするという和釘を作った
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金堂 
二重二閣、五間四面、瓦葺の美しい建物で
龍宮造りと呼ばれている
薬師如来
薬師如来台座 
台座には、奈良時代における世界の文様が集約されている。一番上にはギリシャの葡萄唐草文様、
その下にはペルシャの蓮華文様。各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人)の裸像が浮彫りされている。
下框には、中国の四方四神(東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武の彫刻がなされていろ。
まさにシルクロードが奈良まで続いていた。
大講堂 
大講堂は正面41m、奥行20m、高さ約17m。
伽藍最大の建造物。
大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、
南都仏教が教学を重んじ、
講堂で大勢の学僧が経典を講讃したため
彌勒三尊像 釈迦十大弟子
東院堂 
鎌倉時代に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り発願建立された

堂内には、白鳳仏を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護している。
白鳳伽藍 西塔
戦国の戦火で焼失したが、昭和56年(1981年)綿密な調査に基づき特有の木造建築工法で創建当時の姿に復元された。
塔の連子窓に使われている色を「青色」
扉や柱に使われている色を「丹(に)色」と呼び、 万葉集の一節に『あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり』
と歌われている
中門
             
法隆寺 写真をクリックすると 大きい画像が見られます。
法隆寺は日本最初の世界文化遺産
飛鳥時代の姿を伝える世界最古の木造建築
として広く知られている
五重塔・金堂を中心とする西院伽藍 金堂
威風堂々とした建物内には、聖徳太子のために
造られた金銅釈迦三尊像などが安置されている
             
             
  塔は釈尊の遺骨を奉安するためのもので
仏教寺院において最も重要な建物とされている
   夢殿を中心とする東院伽藍へ    夢殿  
             
   石舞台古墳          
       
  石室を覆っていた盛土が失われ、巨大な天井石が
露出していたことから石舞台と呼ばれている。
石室内には家形石棺が安置されていたと推定される
 
       
             
   橿原神宮          
       
   表神橋と大鳥居    初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮があったとされるこの地に橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により明治23年(1890年)に官幣大社として創建された    畝傍山の南東麓、約50万㎡の広大な神域に建てられた檜皮葺き(ひわだぶき=檜の樹皮を屋根に使ったもの)で素木(しらき)造りの本殿と神楽殿が、玉砂利の参道と背景となる深い森の緑に調和して美しい  
             
             
             
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