倉敷散策          
   倉敷川を中心とする一帯は早くから干拓による田地の開発が進められていました。
倉敷川は運河として利用され、多くの商人が集まり、やがて備中地方の物資が集積する商業の中心となっていきます。
江戸時代には幕府直轄地「天領」になり、幕府の保護や周辺の豊かな産物を背景にさらに発展し、町の原型が形成されていきました。
 
             
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  今橋
大原美術館と旧大原を結ぶように倉敷川に
架かる橋で、橋げたが半円状に設計されて
いることで、水面に映る半円の影と合わせて
満月を見ることができるように工夫されています。
石柱の頂部には、天皇への敬意を込めて
菊があしらわれています。
 
  倉敷川畔    川舟流し
倉敷川で、船頭さんがあやつる川舟に
乗ることができます
 
             
       
  中橋    中橋
橋桁が一枚石の太鼓橋 
   有隣荘
大原家別邸で、瓦の色が見る角度によって緑色に光り、目立つことで「緑御殿」とも呼ばれています。
 
             
       
  瓦は特殊な釉薬が使われており
泉州堺の瓦職人に特別注文したものです。
昭和22年(1947年)には昭和天皇の宿泊所として
使用されるなど、後は来賓館として使用され、
多くの貴賓客をお迎えされていました
  当時の倉敷川は潮の干満を利用して多くの船が航行しました。倉敷は物資輸送の集積地として、川沿いには、塗屋造りの町家や白壁土蔵造りを中心とする町並みが形成されていきます。   町屋
倉敷窓や倉敷格子、白壁など、倉敷の典型的な
町屋として往時の姿をとどめています。
 
 
             
       
  奈良萬路地
美観地区路地の中でもこの路地が最も美しいといわれています。

 
   ひやさい
倉敷地方の方言で細い路地のこと。
     
         
       
  本町・東町界隈は、大部分が町並み保存地区に指定されていますが、現在も約200世帯の人々が
暮らしています。
      旅館鶴形路地
旅館鶴形の左手を通る路地は本町へと続きます。
この路地は特に狭い為、日中でも光は
ほとんど入りません。

 
 
             
       
  倉敷格子
主屋1階正面などにはめ込む格子が主流ですが、
その他に1、2階の窓の出格子や 平格子として
用いられることがあります。
上下に通る親竪子(たてご)の間に
細く短い子が3本入ります。
家の中からは外が見えて、外からは家の中が見えない構造になっています。
  なまこ壁
正方形の平瓦を外壁に張り付け、目地を漆喰で盛り上げて埋める手法。 この盛り上がりの断面が半円形のナマコ形に似ていることからこの名称が付けられています。
このナマコ形の目地は平行に通る一文字目地と斜めに通る筋違い目地があります。
  犬夜来(いぬやらい)
円弧状の反りついた割竹や細い桟木を並べた柵のことで、 元々は犬走りからの砂利や泥が建物に飛んでくることを避けてのことですが、
矢来(やらい)の語源には「入るを防ぐ」という意味もあり、泥棒避けの対策もあったとされています。
 
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   景観照明のやさしい光に包まれ始めます。   倉敷館
大正6年(1917年)に倉敷町役場として建てられた洋風木造建築。現在は観光案内所になっています。
  倉敷川にライトアップされた町並みが
映っています。 
 
             
             
             
             
       
  美観地区の夜間景観照明    大原美術館
 昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立したもので、西洋美術、近代美術を展示する私立美術館としては日本最初のものです。
   大原美術館  
             
             
             
             
             
             
             
             
             
             
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