土肥金山           
  建徳・文中・天授(1370年代)の時代、足利幕府直轄の金山奉行が土肥を支配し、盛んに金を掘ったのが土肥金山の始まりと伝えられています。
徳川家康が伊豆の金山開発に力を注ぎ、江戸時代に第一期黄金時代を、明治時代から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え
最盛時には佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山です。
金山は昭和40年に閉山し、その後は観光坑道として利用されています。
 
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  見学できる坑道の長さは約400m、
およそ30分で回ることができる

坑道内では、電動人形によって、
江戸時代の金山採掘の様子が再現されている
  金山からくり絵図
栄進通洞坑(主要運搬坑道)
 
  手操り水替
坑内の採掘現場が深くなると地下水が湧出してくるので、排水坑道まで水を汲み上げます。
この作業に従事する者を水替え人足と呼び、
昼夜を問わず多数の人足が働いていた
 
             
       
  山留
留木(坑木)を使って 落盤や落石を防ぐ為
坑道の普請をする作業で、この作業を
行う者を山留大工と言った
   送風
切羽が深くなると通風が悪くなり、湧出する温泉熱もあって酸欠で倒れたり、灯も消えて仕事が出来なくなる。これを防ぐため各所に唐箕(木製の手回し送風機)を備えた

  切羽(せっぱ)
坑内の採掘現場を切羽と言い、 江戸時代には
女性も坑内で働くことも多かった
 
             
       
  なかには夫婦一緒に働き、男性は金堀り、
女性は運搬の仕事をした
 
  坑内風呂
土肥の温泉は金山から湧き出したのが始まりと言われており、坑内で湧出した温泉は当時から金堀りたちにとって疲れを癒すひと時の憩いの場だった 
  男風呂でくつろぐ作業員   
             
         
      採掘切羽
この場所は400年前に本格的に採掘が始められた
最初の鉱脈で、天井に見られる赤い岩盤の箇所が
金鉱脈
  運搬
鉱石を運ぶカマス(わら・むしろの袋)1荷あたり
5貫目(約19㎏)が標準で、
荷揚げ堀子は、カマスを背負い、狭い坑道を
灯を頼りに坑外まで運び出した
 
 
             
         
  江戸時代の金鉱入口風景を再現している          
             
         
  金山総奉行 大久保長安   千石船(弁財船)      
             
             
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