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京都 時代祭 |
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平安遷都から1100年目を記念して、明治28年に桓武天皇を祭神として平安神宮が造営され、記念祭が盛大に挙行されました。 |
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翌29年からは毎年遷都の日にあたる10月22日に、延暦から明治に至る千余年の文物風俗を模した行列で現在に至っています。 |
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この時代祭は葵祭、祇園祭とともに京都三大祭りとして知られ、海外からの回覧者も多く、沿道を埋めつくします。 |
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山国隊が奏でる笛、太鼓を先頭に約2000名、約2キロにわたる行列は 豪華な歴史絵巻を見ているようでした。 |
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行列の順序は新しい時代の明治維新から、順に古い時代にさかのぼり、延暦寺代に至り、 |
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最後に鳳凰の神幸列 および弓箭組列で構成されています。 |
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明治維新時代 |
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秋晴れの素晴らしい天候のもと
2018年の時代祭がスタートした |
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この祭りが京都の誕生を祝う市民の祭りと
いうこともあり、知事、市長、府議会議長らが
名誉奉行を勤めている |
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維新勤王隊列
維新に際して、幕臣が東北地方で反乱し
丹波北桑田郡山国村(現在・右京区京北)の
有志が山国隊を組織して官軍に加勢した |
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ピーヒャラ ドンドンという笛太鼓で有名な鼓笛隊。
この音 イコール 時代祭と思うほどインパクトがある |
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維新志士列
西郷吉之助 明治維新で活躍した人物が
次々登場する。
20才~30才代の青年が中心ということで
京都青年会議所が演じている |
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七卿落列
近衛忠凞(このえただひろ)
幕末に対抗するため天皇を動かさんとした7人の
公卿たち |
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江戸時代 |
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徳川城使上洛列
にぎやかに歩く 長持ちの隊列 |
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槍持ち、傘持ち、鋏箱持ちの掛け声、動作は
当時の行列の有様を偲ばせる |
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徳川幕府は大礼、年始等の際には必ず
城使を上洛させ、皇室に礼を示していた。
一般の大名行列よりずっと盛大で格式の
高いものであった。
時代祭の中でも、最大の行列になっている |
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安土桃山時代 |
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江戸時代婦人列
皇女和宮 仁孝天皇の第八皇女で14代将軍
徳川家茂の正室。
皇女が武家に降嫁し、関東下向した唯一の例 |
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吉野太夫 寛永のころ、京都三条筋の名妓。
美貌に加え、和歌や俳諧、琴、書道、茶道等、
数々の諸芸に優れており、
人々を惹きつけてやまなかった |
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豊公参朝列
戦国の世を制し天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は関白太政大臣となり、たびたび参内した。
最高級の牛車に「一日晴れ」と称される華やかな
装束をまとった大名が従う |
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室町時代 |
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織田公上洛列
戦国武将の心意気を示す派手な兜飾りや馬印が特徴。
羽柴秀吉の馬印は千成ひょうたん |
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滝川一益(たきがわかずます) 織田信長の家臣 |
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室町幕府執政列
足利将軍補佐の大役で管領の細川氏 |
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室町洛中風俗列
室町時代後半に経済力を蓄積した京の町衆によって
盛んに催された風流踊りを再現したもの
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風流傘を中心に内側に囃子方で構成する「中踊り」 |
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踊り手で構成する「側踊り」
この風流踊りは江戸時代以降の
盆踊りの原型ともなっている |
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吉野時代 |
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楠公上洛列
元弘3年後醍醐天皇の隠岐からの還幸にあたり、
楠木正成が一族郎党を率いて先駆して上洛した様子。
貝役が、ほら貝を吹き、この列の特徴は多種にわたる
甲冑や武具 |
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中世婦人列
大原女 洛北大原の婦人は頭に薪や炭を乗せ
京の町に行商に出た |
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桂女 洛西の桂から桂川を越えて
鮎や飴を売りに京の町々に来る販女。
桂包といって髪を白い布で包み、
着物を短く着た装束が特徴 |
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鎌倉時代 |
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藤原時代 |
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淀君 大綱秀吉の側室淀君は桃山時代を代表する
豪華な外出姿 |
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城南やぶさめ列
流鏑馬は平安朝から行われた騎射の技で、
武士のたしなみとして盛んに行われていた |
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平安時代婦人列
巴御前 透彫りの天冠に銅丸をつけ、
太刀に長刀を持ち、木曽義仲に従って出陣した時の勇壮な姿 |
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常盤御前 源義朝の夫人で、義朝戦死の後、
子ども達の助命を平清盛に乞うため、牛若を懐に、
今若、乙若を連れて六波羅に名乗り出るところ |
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清少納言 「枕草子」の作者で唐衣に裳を
着けた女房装束(十二単)女官の正装
紫式部 54帖にわたる大作「源氏物語」の
作者 |
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小野小町 平安時代前期の歌人
服装は神像から考証し、唐風が残る平安初期の
女官の礼服姿 |
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延暦寺代 |
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神幸列
御賢木(おんさかき)を先頭に御鳳輦(ごほうれん)を
中心とする神幸の本列 |
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神幸列は一年に一度御祭神が市内を巡行され、
市民の安らかなることをご覧になる行列 |
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